■ 山門 お寺は昔世俗から離れ山にありましたので、どこのお寺でも○○山○○寺となっています。当山は孤峰山 淨業院 悟真寺です。 徳川家は浄土宗であり、鳳に家康に知られていた関係で、家康、秀忠、家光等は休息宿泊し たと伝えられ、寺紋は「葵の紋所」使用を許されていた。 ■ 本堂 昭和三十六年、四十八世辨匡上人が檀信徒のご協力を頂いて立てた本堂で、現在の名古屋城を設計監督した木戸博士に設計を依頼し、檀家総代三河土建株式会社が施工してくれました。平成二十八年に本堂屋根葺き替え工事を行いました。書院庫裡は49世辨成上人がやはり檀信徒のご支援を得て昭和五十八年に再建しました。施工は同じく三河土建です。 当山の本尊は恵心僧都源信(えしんそうず げんしん942~1017年)最後の作と伝えられる開山持念木彫弥陀三尊立像。 この天蓋は現住職晋山の時に記念に造られたものです。 天蓋の周りは二十五菩薩が、来迎しています。 ■ 阿弥陀様 享保6年(1721年)浄土宗西山深草派総本山(京都 中京区) 本尊に模し造顕したといわれる像高152センチ、須弥壇上に金色さん然と安置、結跏跌坐する本尊仏「阿弥陀如来坐像」胎内に納められている。 秘仏であり、25年目ごとの御開帳がある。戦時中音羽町赤坂の長福寺に疎開、唯一戦火を免れた。 お檀家である大沢華空先生の揮毫で、先生も生前気に入っておられました。 彼岸法要の様子です。 ■ 位牌堂 本尊を背にして奥に位牌堂があり檀信徒の寺位牌が安置されている。 ■ 羽田野敬雄を支えた佐野蓬宇 山門を入ると左側に中山美右(うまし)と佐野蓬宇などの墓がある。美石は本居大平門の国学者で藩校時習館で講義した。羽田野も一時大平門だった。蓬宇は岡崎の青々処卓池の門下で、幕末・明治期の吉田(豊橋)俳壇のリーダーだった。家は本町の万屋という東海道で有名な饅頭屋だった。蓬宇は羽田野敬雄が主催した羽田八幡宮文庫の発足(1848年)に協力、一人で千冊以上の本を寄贈、また経済的援助も惜しまなかった。豊橋市中央図書館には蓬宇の日記『此夕集』数十冊や『蓬宇連句帳』などがある。 クリックで拡大できます。 ■ 幕末の力士・三代目清見潟又市の碑 俗名 小森野又市 戒名 清法悦達譽見道潟常居士 現在の春日野部屋の前進である。 碑には葛 源造 建立 世話人 平井亀吉 常吉 文久四年(1864)甲子年正月四日没 辞世の句 念仏をもうしためたる功力にて えん魔にまけぬ 用心をする ■ 歴代墳墓 当山は創建655年です。現在の住職は50世となります。歴代の住職が祀られています。 ■ 幼保連携型認定こども園 悟真寺幼稚園 境内の中庭に当山が運営する「幼保連携型認定こども園 悟真寺幼稚園」がございます。日本の将来を背負っていく、強い精神力を持った心のやさしい自主性のある子どもを育てるお手伝いをさせていただきます。ご家庭と一緒になって、職員一同『明るく 正しく 元気な子』の育成に努めます。 人と心のふれあいを大切に、学ぶ楽しさを伸ばしていきます。すべてをしっかり楽しく、そんな育成に努めています。 悟真寺幼稚園はお寺の敷地の中にある幼保連携型認定こども園で、管理の行き届いた広い庭園や、たくさんの遊具、きれいな教室が自慢です。 悟真寺幼稚園ホームぺージ